kiss me 5
今日、また、あの青い翼と一緒になって戦った。
あれきり、俺はまたアスランさんの言うことを聞かなくなって、出すぎて囲まれて助けにきたセイバーが被弾した。二人ともあぶなかったかも知れなくて、でももちろん感謝する気なんかない。
セイバーを抱えてミネルバに向かう機体を、撃ち落してやろうかと思ったけれど、エネルギー切れしていてできなかった。
「あっ、君っ、ちょっと待って！」
嫌な声に呼び止められて、嫌なのに勝手に足が止まった。
格納庫に収まったあの機体を見るのが嫌で、足早にそこから去ろうとしていたのに。
アスランは、被弾したセイバーにかかり切りらしく姿が見えない。変なところで、パイロットの鑑みたいな人だから。
振り向くのも嫌で、でもそいつが追いついてきたから振り向かなくても顔を見る羽目になった。
その男は、シンの肩を掴んで。
シンの目を、覗き込む。
奇妙に綺麗な紫の瞳。
何故か、身がすくむ。
「君と、話がしたいんだ」
「話すことなんかない」
「頼むから」
「・・・殺されたいのか、あんた」
少年から迸ったのは、本物の殺気だったけれど。それでもその男は言葉を止めなかった。
「ごめん。僕はあのとき、戦う以外に方法を持たなかったから、言い訳しない。でも僕はまだ、殺されてあげるわけにはいかないんだ」
「あんたはっ」
そんなことを、のうのうと言うそいつに、どうしようもなく腹が立った。
しかしシンが何かを言う前に、男は掴んだ肩を引いた。
「大きな声出すから、みんな見てるよ。あっち行こう」
「だから話すことなんかないって！」
頭に血が上りすぎて、目の前が暗くなる。
しかし、ちらりと横に視線をやった後、男が小さく囁いた言葉に、一気に血の気が引いた。
「アスランの、こと。また未遂やったってほんと？」
また。
じゃあ、やっぱり。
『死のうとなんかしてない！』
死のうとしたこと、あるんだ。
そうだろうなとは思ってたけど。
もう、シンには関係のないことだけれど。
確かめてしまうと、辛い。
「・・・・だったら何なんだよ」
イライラとあげた声に、今度は覚悟ができていたのか、驚きもせず男は小声で続ける。
「何やったの？怪我は？」
「・・・・」
答えないシンの瞳を、覗き込んで。
「今、そんなに酷くなさそうだけど。君がなだめてくれたの？」
「まるであの人が自分の物みたいな言い様だよな、あんた」
唸っても、気にもせずに。
「だって、前に君が言ったんだよ、追い詰めたのは僕ら・・・僕、だって」
「わかってんなら・・・」
「心配することくらい許してよ。今日は少し、動きもおかしかったし」
そんなこと、シンは気づきもしなかった。
それに。
「あのひと自殺未遂なんかしてない」
そこまでは、小声で。
しかし、それから、声を張り上げて。
「それに、俺はもう関係ない！」
あれきり、シンはまともにアスランと話をしていない。
先に、拒絶したのはアスランだ。
シンは悪くない。
後で謝ってももう遅い。
壊したのは、あの人だ。
壊したの、は。
唐突に、胸がどきどきして苦しくなった。
あの人は、何て言っていたんだろう。
壊したって。
大事なものを、壊したって。
「関係ないの？」
それに追い討ちをかける男の声。
「本当に、君は関係ないの？」
「っ、何なんだよあんたはっ！」
そいつの、襟首を捕まえた。今度はちゃんと逃げられなかったけれど、捕まったのは、むしろ、シンの方。
「関係ないのならいいんだ。引き止めてごめん。でも、そうじゃないなら」
アスランとはまた違う意味で、底の見えない紫の瞳がシンを映して、瞬いた。
「君と、ちゃんと話がしたいんだ」
男は、「キラ・ヤマト」と名乗った。
「キラ」と言う名前は知っていたけれど、こうやって面と向かって名乗られたのは初めてだった。
シンと同じ、アジア系の血の強く出た顔立ちをしている。
なんだか気の抜けるような、柔かい声でアスランの名を呼ぶ。
茶色い頭と紫の目。あんまり、背は高くない。
嫌だな、とシンは思った。
家族を殺した男、という記号に、名前と声とディティールがついて、人間になってしまう。
人間になって、シンの今一番触れられたくない話を、初めてしまう。
「ザフトの艦ってさ、いいよね。こういうとこ綺麗で」
とりあえず、人気のないパイロット待機室に連れてきて、開口一番にそう言われ、シンは酷く反応に困った。
「そんな話、しに来たのかよ」
「違うけど、いいなって」
言って、格納庫を映す強化ガラスに手をついた。
前に、そうしていた人を思い出し、シンはきつく、拳を握る。
そんなことを知らないキラは、格納庫のMS群に目をやり、それからガラスから手を離して。
数歩離れた場所から、シンに深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。僕は、君と、君の家族に、取り返しのつかないことをした」
「・・・・つ」
そう切り出されるとは思わなかったシンは、息を呑む。
千切れた妹の手、捩れた母の体、潰れた父の頭。
それを作り出した男は、今、下げた頭を申し訳なさそうに上げて、哀しい目をして、シンの前に立っている。
「『戦争だった』は理由にならない。許されるとも思ってない。・・・でも僕は、まだ、再びああいうことが繰り返されないために、できる事があるから」
だから、と、キラは続けた。
「だからごめん、まだ殺されるわけにはいかないんだ」
哀しげな、紫の瞳、それは、いつか見たアスランのそれに似ている。
深い底に、あの怖いほどの淵はないけれど。
この人が、アスランにとても近いところにいるのだと、シンは悲しく思った。
アスランは、この人にとても近いところにいるのだと。
「・・・・・・」
何も言えないシンに、一歩だけ、歩み寄り、キラは言葉を続ける。
「僕は、アスランにも取り返しのつかないことをしてる」
本題だ、とシンは思った。
思ってから、それが家族への裏切りのような気がして唇を噛んだ。
マユを、両親を殺した奴を前にして、本当に話すべきことが、他にあると思うなんて。
「アスランはね、今、子供の頃こと、あんまり憶えてないんだよね」
「は？」
自分の感情でいっぱいいっぱいのところで、そんな更に訳わかんないこと言わないでくれ。
「僕らが幼馴染だってこと、聞いた？」
「聞いてない」
親友の話と、子供の頃の友達の話は聞いた。
でも、それが同じ人間だとは聞いていないし思わなかった。
じゃあ、こいつが、そうなのか？
「僕らが、殺しあったことは？」
「一応」
大事なものを、壊したのだと言っていた。
殺したのではなく、許してもらえなかったわけでもなく。
壊した、のだと。
また、胸が苦しくなった。
「今思うと・・・なんであんなことできたのかって、不思議になるくらい、酷い戦い方をしたよ。でもあの時は、僕も、たぶんアスランも、自分の気持ちで、憎しみでいっぱいで。それをぶつけることしか、考えてなかったから」
「・・・・なんで」
それは、何に対する問いなのかシン自身にもわからなかった。
「僕ら、互いに互いの大事な・・・友達とか、仲間とか、殺してるんだ」
柔かい声で、可愛いとさえ言えるような顔で、男はそんなことを言う。
「最後には、アスランが乗ってた機体で、僕の機体に組み付いて自爆して。ほんとに僕ら、よく生きてたなって思うけど。まあ、僕はいろいろ特別製みたいだからね」
その時彼が見せた昏い笑いは、アスランとはまた違う意味で怖い。
「忘れちゃったの、その時みたいだって、言ってた」
話の前後が、シンには一瞬わからなかった。
「アスランはね、優しいから。だから、きっと、僕のこと憶えたまんまじゃ、僕を、殺せなかったんだろうね」
子供の頃、僕といた時のことだけ、全部忘れちゃってるんだってさ、と、キラは続けた。
親友を殺すために、彼との思い出を全部忘れた。
本当に、変なところでMSパイロットの鑑みたいな人だ。
でも、それは。
その、思い出は。
「僕とアスラン、４歳から１３歳まで、ほとんどずっと一緒にいたんだ。レノアおばさん忙しくってほとんど家にいなかったし、お父さんはずっとプラントにいて、僕、見たことなかったし。うちでごはん食べたり、宿題手伝ってもらったりしてさ、学校でも家でも、ずーっと、一緒」
シンの思いを裏付けるように、キラは簡単に思い出を語る。
「アスラン、それ全部なくしちゃったんだって。・・・・僕と戦った、せいで」
軽い言いよう、柔かい声。だからこそ、彼の言っていることは怖くて。
「でもだって、あの人・・・」
研究にかかりきりの母親、家にいない父親。
なのに、代わりにいたという友達のことは、全部忘れてしまって。
それ、は。
シンを、優しく慰めてくれた言葉を思い出す。
『幸せな思い出は、それだけで、生きていく力になるから』
『それがある限り、お前はきっと、何があっても生きていける』
じゃあ、あの人が死にたいほどに辛いのは。
生きていくのが、辛いのは。
あんなに儚いのは。
壊してしまった、ものは。
「うん、自惚れじゃなく、あの頃が、僕らの一番幸せな時だったと思うよ」
懐かしむ目。
大事なものを、愛しむ声。
「あの頃の僕が、だぶん、いちばんアスランを大事にしてたと思う」
でもあの人は、それを、全部壊してしまったのだ。
シンのキスが気持ちいいと言っていた。
大事にしたいと、想いを込めたキス。
でもあの人は、きっとそれがどんなものか忘れていて。
だから、シンの気持ちもわからなくて。
壊れてて。
「でも、だからこそ僕は、アスランに何もしてあげられない。また、追い詰めることしかできないんだ。でも君なら・・・」
「できない」
続く言葉を叩き切るようなシンの声に、キラは軽く眉を寄せた。
「どうしてって、聞いてもいいかな」
どうしてなんて、決まってる。
シンが、壊したからだ。
泣いて許しを乞うあの人を、無理やりに押さえ込んで犯した。
シンとするキスが好きだと言って、あんなに綺麗に微笑った人を、めちゃめちゃに壊した。
壊して、忘れようとした。
なかったことに、しようとした。
「関係ないって、さっき言ってたの、もしかして、喧嘩したままなのかな」
喧嘩、なんて。そんな簡単なものではなかったはずなのに。
彼は、シンの葛藤をあっさりとそこまで引きずり下ろす。
「だったら、すぐに謝った方がいいよ、僕らには、次があるかなんてわからないんだから」
不吉な言いようだった。
しかし、紫の瞳は真剣で。
本気で、心配しているんだと、わかった。
「世界は・・・取り返しのつかないことだらけだけど。でも、その分、代わりになったり、埋め合わせたりできることも、たくさんあるんだと思う。・・・でないと、生きていけないもの」
子供のように、つたない言葉だった。
しかしそれは、つたない分、シンには良くわかった。
この人も、きっと何か大事なものを、他の、何かやっぱり大事なもので埋めているんだろう。
なら、アスランには。
大事な思い出の変わりに。
俺、が。
「あ、あのっ」
こいつに、頼みごとするなんて嫌だ。
殺さないまでも、関わりたくなんかない。
それでも、今、必要だと思うから。
これからのために、過去を踏みしめることが。
「教えてください、その、子供の頃の、アスランさんのこと」
あの人が、なくしてしまった記憶を。
壊してしまったものを。
それを踏みしめて、もう一度、あの人にキスするために。
あいする、ために。
「うん」
そう言って笑った男を、シンはもう、嫌いにはなれなかった。
口うるさくて、怒りっぽくて、嫌味なほど何でもできて。
でも、優しい幼馴染。
柔かい声で語られる、優しい、思い出。
それを、キラがあんまり楽しそうに語るから。
シンは、泣きたくなった。
それを、全部なくしてしまったアスランが可愛そうで。
それから少しだけ。なくされてしまったキラも、可愛そうで。
なんで、こんなことになったんだろうと思う。
答えは見えていて。
だから。
この戦争も、終わらせなければいけないと。
強く、強く思う。
シンの力はわずかだけれど。それはきっと、アスランもキラも同じだから。
「アスラン、またやったんじゃなくて良かったよ」
最後に、キラはそう言って笑った。
「また、って」
「手首、めちゃめちゃに切って。リストカットとか、もう、そういうんじゃないんだ。よく元通りついたなって思ったよ。でもだから余計、事故だって言い張られたら皆何も言えなかった」
死のうとしてないと、叫んだ人。
嘘の、下手な人。
「あの、ありがとうございました」
なんとか泣くのは我慢して、深く、頭を下げる。
この人に、敬礼するのは何か違うから。
「ううん、ぼくこそ、ありがとう。」
キラは、笑って首を振った。
「アスランがなくしてしまったから、僕が、僕だけはちゃんと全部覚えてなくちゃって思ってたけど。これで、僕が死んでも、あの頃のことを知っている人がいるんだ」
切ないと思う。
頑張らなきゃと思う。
「君に、話せてよかった」
大事にしてね。
何を、と、キラは言わなかった。
それでもシンは、深く、頷いた。